難民に関する論文
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宗教にもとづく難民申請
― あるいは、自分自身のこととしての難民問題 ―

JELA事務局長・難民事業委員長 森川博己

■考察のきっかけ
 法務省のA氏から洗礼証明書の再発行について質問されたことがある。ルーテル教会 やカトリック教会の例を調べつつ、自分の洗礼体験を振り返ってみた。1981年8月に受け取った、牧師の署名入り洗礼証明書を大事に保存しているのだが、じつは 私の場合、真の悔い改めに導かれて「新たに生まれた」(ヨハネ福音書3章3節)と言えるのは、受洗2年後のことであった。この回心の際に味わった言いよう のない喜びと平安、そして神の憐れみへの深い感謝の念は、以来ずっと私の心の中心を占め続けている。
 
A氏の質問は福音の本質へと私をいざない、職務上知り合えたひとりの人、つまりA 氏にそれを説明する機会となった。回答のなかで私は、クリスチャンと言えるために最も重要なことは、心から神に従っていることだと思うが、それは本人と神 にしかわからない事柄であり、洗礼証明書は厳密にはこの実体を保証しない場合がある、と指摘した。

■難民条約上の「難民」
 しかし、回答直後に質問を取り違えていることに気づいた。A氏が問題にしているの は、あくまで難民性判断におけるキリスト教なのだ。難民条約上の難民の定義は「……人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること または政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けるこ とができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者……」(第1条A(2))となっている。

 迫害の恐怖を主張する者が確かに回心しているかどうかが問題なのではなく、迫害す る側から見て問題の宗教の信者に見えるか否か、この点こそが重要なのだ。その人の出身国では、ある地域に住んでいる者をみなクリスチャンと見なすとか、親 が教会員なら子どもも同じ教会の会員と見なす等の事実がある場合、それが神の目から見てナンセンスであろうがなかろうが、その立場に置かれた本人には、重 大な脅威が存在することになる。

■宗教にもとづく難民申請
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、「宗教にもとづく難民申請」の法解釈 上の指針(*注)を公刊している。そこには、この問題が最も扱いの難しい事項の一つであること、難民条約の起草過程で宗教にもとづく迫害は常に難民定義の 一部として重視されていたこと、宗教の明確な定義は条約に示されていないが、それは思想・良心及び信念の自由、そして特定の宗教に従わないか拒否する自由 を含むこと、等が記されている。

 迫害を受けていると主張する者に信仰の実体がなくても、信仰を持っているはずだと 迫害する側が見なすに足る事実が存在するときは、迫害の危険性ありと判断できる場合があることも明記されている。むろん、宗教的自由の行使は無制限に認め られるのではなく、公共の安全、公の秩序等、市民の基本的人権を侵害する行使に対しては制限が許される。ただし、その制約の幅や罰則の重さが合理的限度を 超えている場合、逆に宗教の自由への迫害となりえる。

 おもしろいのは、当該宗教の重要な慣習や儀式と本人の信仰姿勢を比較し、宗教上一 般的に重要とされる事柄(洗礼を受けることや聖餐式やミサに参加すること等)であっても、迫害を主張している本人がさほど気にしていないものについては、その制約は当人に関する限り迫害にはならないとする点 だ。これは、迫害に相当する制限か否かを個別に判断するということであり、判断を複雑にする危険があるが、一つの考え方ではある。この指針には他に、強制 的な改宗、良心的兵役拒否、本国出国後の改宗等について興味深い議論が展開されている。

 また、難民性を判断する者に対して、たとえ自分が申請者と同じ宗教に属している場 合であっても、自身の経験のみにもとづいて結論を出してはならないこと、特定の宗教や信者に関する予断を排し、申請内容について信頼できる知識を有する独 立専門家の意見や、同じ信仰をもつ他の信者から得られる確実な証言を利用すること等、適切な注意を促している。

■だれもが「難民」になりえるということ
 ここで自分のことをもう一度考えてみたい。幸いなことに今の日本では、キリスト信者であることを表明しても、(政治的意味での)迫害を受けることはな い。しかし、それが危険思想として幕府から禁じられた時代があった。迫害覚悟で信仰を表明せざるを得ない環境、そんな時代に自分が生きていたらどうだろ う。

 信者として自由にふるまえる他国に逃れる道があるなら、それが福音を伝えるように召された者にとって望ましい態度か否かは別にして、逃避の道を選択するかもしれない、つまり、私も難民申請者になりえるということだ。
 申請者としての自分は、自分や家族にどのような処遇を望むであろう。いまの日本の ような、申請に対する判断がいつ下りるかわからない、待っているあいだ働いて自活することが許されない、かといって公的な生活支援は十分でない、こんな現 状に甘んじるだろうか。いや私なら、自分と自分の家族を神の被造物(人間すべてが神の被造物である)にふさわしく扱ってほしいと訴えるだろう。

 難民申請者に対する日本の現状は、あまりにも不十分と私は感じている。JELAその他の難民支援NGOの存在意義もここにある。そしてその活動を支えるのは、読者の皆様お一人お一人の精神的・財的支援なのである。
 迫害を受け難民化する状態は、だれにでも起こりえる。難民性の判断をする側も申請者を支援する側も、つねにこの点を念頭において仕事にあたる必要がある。自分だったらどうしてほしいか、この観点を忘れてはならないのである。

*注:United Nations High Commissioner for Refugees,”Guidelines on International Protection: Religion-Based Refugee Claims under Article 1A(2) of the 1951 Convention and/or the 1967 Protocol relating to the Status of Refugees”, HCR/GIP/04/06(28 April 2004)

 

 

 

 

 


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